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2006/3/7
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この「ログ会堂日記」は、掲示板の「ログ日記」へ移りました。 下記で見てください。
http://michihiro.konko.jp/cgi-bin/space/bbs/bbs.cgi
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2003/8/23
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「ケイタイを持って、逝ったか!」
今朝は、10時のご祈念後に教会で角家の50日祭・合祀祭があり、10時前から、遺族、親族が参ってきている中で、その準備に忙しい時に、電話があった。家内から代わって出ると、先月23日に横須賀のホスピタル病院に入院中の大学時代の友人を見舞った、一度だけ大阪で会った彼の奥さんからだった。21日亡くなったと言うことだった。 もう、あわてて、取り急ぎ電話をしたと言うほどの、あわて振りだった。 末期の癌で、治療することもなく、ただ出来ることを好きなように、する入院生活で、突然のように7月の14日に(マイパソコンがクラッシュして、すぐで)メールが来た。 この入院は、良い選択であったかどうか?と言うメールと、どんどんメールが欲しいということだった。
23日に当時、大学の同じクラスで、今は金光教の教会長をしている友人と、横須賀へ見舞いに行った。 10年ぶりの再会だった。一緒に行った彼は、40年ぶりだった。 5分もすると、時間を超えて昨日今日の学生時代の会話へ変わった。 入院中の友人は、数時間の見舞いの中で、疲れも見せずだんだんと元気になり、病気は有っても、病人の気配もない生き生きとした表情を見せた。
8月に入って、大阪に台風10号がやってきて、連日テレビの報道があった。8月9日の朝、まだ風が強い中、7時になって今ならと、彼が電話をしてきた。病院からだ。台風はどうですか?生駒山の山麓で、被害は?と言う見舞いの言葉だった。 パソコンの調子が悪く、修理に出したので、電話を掛けてくれたらいいとケイタイの番号を教えてくれた。
それから、まもなく痛みが激しくなって、生前の医師との約束通り、処置をしてもらったけれど、一週間も生きて亡くなったと言う。
今、彼が教えてくれたケイタイには、一度も掛けることのないままであった。
彼は、そのケイタイを持って逝っただろうか?
本当に忙しかった一日だったけれど、彼も明日は、葬儀であるのに私の意識にズーと入ったままだった。また、会おう。
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