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2001/9/11
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久ぶりのログ会堂日記です。毎日、あれやこれやとあって書き出したらいっぱいあります。これから、毎日でも書いてみよう。8月23日に金光教大阪フォーラムがあり、立命館大学の桂島宣弘教授の「金光大神との出会い〜歴史学徒として」があった。翌日、メールを出した。私の共感するところが多かった。次のようなメールです。 桂島先生 昨日は、金光教の「大阪フォーラム」で丁寧でわかりやすいお話ありがとうございました。東大阪市東石切で教会現場に専念している「みちひろ教会」の稲垣です。100年の歴史と教会4代目教会長で、11年前に大阪市西区の堀江と言うところからご遷座しました。だから、新規布教の要素が大きいところがあります。
先生のお話のポイントすべて、布教の現場で納得のいくところがありました。「神の声が聞こえなくなったのが近代」の押さえ方、本当にそう思います。近代合理主義も一つの素晴らしい考え方であったのに、それがすべてのように受け入れていく過程に、「目に見えないものは、あってもなくても、無いかのように考えていこうという近代合理主義の前に、目に見えない大切なものが無惨に切り捨てられて、関係さえ無くなっていきました。信仰にとって目に見えないものすべて無いという、近代合理主義の主張は明快であるだけに、やっかいです。 金光教の教会現場では、「神の声」だけでなくて「黙っている人の声」や「物の声」「植物の声」「事柄・出来事の声」を聞くのが信心生活の重要な要素です。例えば、トイレの手拭きタオルが汚れていたり、落ちていれば、タオルがちゃんとしてくれ!と言う声を聞きます。心が動くのです。日照りの暑い日暮れ、植木が水をくれと言っている声を聞きます。こんがらがった問題を真っ正面から向かって、その問題自体がどのように助かろうとしているか声を聞きます。
(「こみにこ」7月号、8月号、3月号の表紙の言葉を入れる)
これは、教会の月報7月号、8月号、3月号の表紙の言葉です。 先生は、一言で表現されましたが、信心生活の現場では、何度もかみ砕いてわかりやすい表現に迫られています。こんな背景があると、昨日の先生のお話は、すべて信仰現場からバックアップ出来ます。 激動の幕末、明治期の「動の時代」に神様と対座して座り続けること「静」をもって、時代を生き抜かれた金光大神の視座は、変革の今日の時代に問いかけられるものがあります。先生のここの評価は、時代に対応しようとする今の教団にもう一度問いかけたくなものを感じています。結界取次をもう、当たり前に思っているところがあります。 概説金光教にも、「神と人 共に生きる〜金光教教義の概要」等にも、キリスト教の神学の影響が多く見られます。福嶋義次、瀬戸美喜雄両氏には、排除しても、どうしてもそこが感じられます。 一例ですが、「お知らせ事覚え帳」の最後、桂島先生は最後まで熟読されて、よくご存じだと思われますが、「人民のため、大願の氏子助けるため、身代わりに神がさする、金光大神ひれいのため。」 のところの「みがわり」ですが、金光教典は原則、解釈せずにそのままを出すことになっていますが、一番大事なところで原文のまま出さずに「身代わり」という解釈を入れています。これはキリストのイメージで、金光教祖も同じだと言いたいのだと思います。教典発行当時、ちょっと得意にここを説明されていました。 私は、原文のままなら、違う解釈も出来ます。 金光大神の働きが大きく現れる為に、神様が金光教祖を現世から隔世(かくりよ)に身を変えると言う意味にとれます。 うる覚えですが、確か天理教祖が亡くなられる寸前に、官憲が取り巻く緊迫した中で、神様が周囲の者に、「閉じこめたまま、人助けするのか、開け放して人助けするか」と何度も聞かれたという箇所を思うとこの時は、肉体に天理教祖の魂を閉じこめて、人助けをするか、それとも肉体から魂を開放して人助けをするか」と言う意味だったと聞きます。 金光教祖の死に関しては、金光教祖ご自身も結界で参拝者に、自分はそのまま生きたまま神様の御簾のなかに入っていくだけだと言っておられます。 ここから考えて「人民のために、大願の氏子助けるため、身代わりに」というキリストのような犠牲の意味は、無かったように思います。むしろ、意気揚々と身を(姿を)変えていく感じがします。その為の寸前の百日修行だったように思います。 世代が代わると、ここらが明確になると思います。何度か、本部の会議の席でこれに関して、質問しても誰も答えること出来ませんでしたし、何故、原文のままでなくここだけ「身代わり」という解釈をしたかも返答がありませんでした。 まだ色々と先生のお話で、本当にそうだと言う箇所がありましたが、随分長くなりましたのでやめます。 ありがとうございました。 (^0^)/~~see you again!みちひろ教会稲垣菊雄
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2001/7/7
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平成13年7月6日(金) 昨晩、20才の娘が作るHPをMSNの検索で心の関係の言葉を入れると、なんと22万の検索のトップに出てきた。他は学術関係の難しい、大学や研究室、研究者のグループのそうそうたるHPなのに「どうして?」と思い、娘にどうしてだ?と聞くと「知らない。わからへん、なんでやろ?」という。こんなことってあるのですね。可愛らしいHPで熱心に毎日楽しんでいるのが、あるがままの自分を出しているのが良いのかも。 平成13年7月2日(月) 久しぶりのログ日記です。「あいよかけよ」誌7月号が到着。開けると、トップ記事として「全教一新 全教一家」の実現を 道広教会金光ネットワークシステムと書いてあります。次の教会紙「こみにこ」の紹介も入れると12ページになります。こんなに書かれるとログ日記をサボるわけにもいきません。毎日毎日、動きがあって書くこといっぱいあるのに、そのままになりました。インターネットの記事で、教会のHPを誉めてもらってもらっているのに、気づきの教話もそのままでした。毎日、お話しているのに。訂正してください。「金光ネットワークのURL」は「http://www.konko.ne.jp からhttp://www.konko.jp」に変更して下さい。ne.jpのトップページは道広教会しか入っていません。すでに、数教会と教徒社が入っています。他の教会からの申し込みや大きな本教の団体が入る予定です。環境が整えばオール金光教のワールドが生まれます。
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