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2002/4/25
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気づきのキャンペーン 『おかげは、神様の存在証明』 力みが ふっと とれると 自然に 素直にものが観えて これまで気づかなかったことが 見えて来ることがある
初代白神師の「お道案内」(伊原本)を 読むと ほとばしる熱い思いと 勢いのあるハイレベルの教えが わかりやすく、出てくる
これまでも多くの人たちが注目したのは、 その教えが中心だった
「お道案内」は、教えは三分の一で あとは、神様の不思議な おかげ話の連続である それも、神縁を頂いただけで、 参拝しただけで 奇跡が生まれている その信仰は シンプルである
お道案内の注目されない 三分の二にこそ 神様ご自身がその実在を 語られている
4月24日は、大阪教会で初代白神先生120年祭が執り行われ参拝した。いつの頃からか、大阪教会では、取次者の初代白神先生がその教会の主斎神としてお祭されている。だから、奏上祭がなくて、祝詞は初代白神先生に奏上される。いつから、「神になっても神より上になるとは思うな」という教えを、後のものが忘れたかのように神より上にしている。そこの教会の中心になっている。 金光大神が大切にされた天地金乃神様は、金光教祖様が亡くなられても今も私共を生かして下さっている。私共は、今私共を生かして下さっている天地金乃神様を直接頂き、仲良くなることが金光大神の信心であります。120年の歴史をさかのぼって、天地金乃神様を頂くのでは、ない。今、金光大神の大切にされた、大切にされようとした、神様を大切にすること、初代白神先生が大切にされた神様を大切にすることが今の信心です。ところが今、教団や大手の教会では、亡くなった金光大神や初代白神先生を大切にして、天地金乃神様の存在を見失っている。金光大神や初代白神先生を主斎神として、その教会で売り出している。間違いである。 金光大神も初代白神師も、その取次は天地金乃神様を参拝者に手渡すことが中心であったのに、金光大神・初代白神師の一番嫌がられる金光大神・初代白神師自身を大切にする信心になっている。 天地金乃神様を売り出さない広前、教会はいくら偉い亡くなった取次者を売り出そうとしても、天地金乃神様が居られなくなって取次者によるおかげだけのうごきになる。急速に教勢が下降する。 天地金乃神様を無くした教会が増えた。
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2002/4/8
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みちひろ百年記念誌発行にあたって 「セピア色の一枚の写真が、鮮やかに甦る時」 みちひろ100年の色々な取り組みの一つ「みちひろ百年誌」作成は、たった3人でわずか数ヶ月の取り組みです。膨大な戦前の記録を一纏めにして、大阪空襲を避けるべく、金光へ疎開させるその日にすべてが焼かれてしまった。「みちひろ100年史」については、先代先生がされなかったので、もう、道広教会ではだすのは、無理だ。と思っていた。確かに、初代・二代先生の頃の記録はないが、道広教会で参拝70年の現役の平井美代子氏がメンバーで入っていることを考えると、100年間の70%は、埋まるわけです。過去より「今とこれから」ばかりを中心に信心も布教を考えて取り組んで来た私には、なかなか出来そうもないことでした。それを、普段は、月報「こみにこ」を作っている、どちらかと言うと自分をきつく出さない弟の道雄が今回、発願して強力に押し進めることになった。もう一人、若い加藤正道君が是非、させてもらいましょうと言うことで、この三人で会堂ロフトの11年前のご遷座時に箱詰めされたままの資料、写真を開けた。堀江時代にも箱に入れられたままのその資料が、人の目に、手に触れられた。連日、会議室も、隣の応接室にも埃ぽいガリ版刷りの冊子、セピア色の写真と金光図書館からのコピーがあふれた。 そんな中、ふと手にした戦後すぐの「まどい」というガリ版刷りの小さな冊子を見ると、先代先生と若い人たちの教会を中心とした暖かいつながりと信心が、時代の空気と若々しい感性がこの私にあたかも、自分の記憶が甦るように生きた世界となってつながってきた時、百年の流れに身を置く者にとっては、記録は触れると、我が記憶のように蘇るのだなと言う感じがしました。「セピア色に見えた写真、記録が、その百年の流れに身をおく者にとっては、見たり、読んだり、埃を払って、インクの匂いもない傷んだガリ版紙を大切にそっと開けると、自分の記憶のように、その時の世界が生きて蘇ることがある」のを知りました。 百年史でなくて、百年誌と言うことは、今のみちひろ教会とこれからの教会の願いが入ると言うことで「百年誌」と言うことになりました。 平成14年4月 金光教道広教会長 稲垣菊雄
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